最愛の母の旅立ちとセロの苦難( 涙)
8月15日、令和になって最初の終戦記念日に
私の最愛の母が旅立ちました。
昨年の11月1日に、救急搬送され緊急オペ。
健康オタクで、分子栄養学を勉強し、食べるものにはかなりうるさかった母。
私たちも自然食で育ててもらったし、
何より、うちは、長寿の家系。祖母は98歳まで病気ひとつせず。
もちろん、母も
インフルエンザにかかったことすらありませんでした。
元気いっぱい、講演、歌舞伎、クラシックコンサートに足繁く通い、
シニア大学(60歳以上の区民が通える学校です)に、パッチワーク、フラワーアレンジメント、
ハーモニカ、ピアノ、ジム通い。
シニア大学では学園祭の総合司会をしたり、学級委員をしたり、
たくさんのお友達に恵まれて、元気いっぱいに過ごしていました。
母の旅立ちは、私たち家族にとっては、
まさかまさかの展開だったのです。
(いまだに信じられないくらい)
(↑ママです)
まだまだ、ずっと一緒に過ごせると思っていました。
絶対に良くなって家に帰れると、全く疑わずに信じていました。
9ヶ月半、本当に頑張って、周りを驚かせていた母はすごいなぁと思います。
セロをとてもとても可愛がってくれた母。
セロも母のことが大好きでした。
横浜からうちの最寄駅30秒のところに
母を呼んだのが7年前の春。
それまでも、セロをつれて食事や祖母のお見舞いなど、よく出かけていましたが、
近所になってからは、
セロは週3回くらい、母の家でお留守番。
迎えに行くとセロは、
「ママの代わりにママのママに優しくしてあげたよ!」という顔をしたものでした。
それ以外の日も、散歩に出ると
セロは、母の家まで行くといって頑張り、すごい勢いで私を引っ張るので
「セロがママに会いたいって、家の前まで来ちゃったよ」と母を呼び出して、
スタバのテラスで休憩し、また、歩いて帰る日々でした。
スタバ常連だったね。
うちの近所は、駅もスーパーも公園もカフェも、
母の思い出がいっぱいです。
(↑私が中学の頃のママ)
たくさんの花に囲まれて、うちのリビングの祭壇にいる母。
セロは母がいることを、しっかりわかっている様子で、母をじっと見つめていることがよくあります。
入院中は、毎日、面会時間いっぱい付き添っていたので、
セロは、ひとりぼっちが続きました。
大好きな母に会えなくて甘えられなくて、
寂しくて寂しくて、体調を崩し、
わざと粗相をしたり、
身体の毛がすっかり抜けてしまったり、
ヘルニアになってしまい、
一時歩けなくなったり。
全て、母が闘病中に起きてしまったことです。
お腹をずっーと壊してしまい
体重が6.5キロから、一気に5.6キロになり、
恐竜の模型のような身体になったこともありました。
食べても食べても、全然身につかない、
(今は6.3キロまで戻りました!)
母の面会の合間を縫って、
セロの病院通いやリハビリも頑張りましたが
なかなか良くならず、症状の繰り返し。
時間がかかるのかなと、覚悟しました。
ハーブで頑張ってケアして、ふさふさワンコに戻ったばかりだったのにね。
8月15日、母が家に戻ってきてからは、
セロはどんどん回復し、毛も見る見る揃ってきました。
母はリビングに座っているような気もするし、
外に出れば、風の中や、雲や、
急に顔の周りをくるくる飛び回る蝶などが
すべて母なのかな?と感じてしまうこともあり、
いつも側にいるような気がするのでした。
セロも、きっと
同じように感じているのかな。
とても落ち着いて、安心した様子だから。
そんなわけで、なかなか更新できなかったセロ日記。
セロがもっともっと元気になるように願いを込めて、また書き始めます。
どうぞ、よろしくお願いします。